「ソースが利用可能」はオープンソースではない(そしてそれでよい)

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この記事は Dries Buytaert 氏の公式ブログ「dri.es」の翻訳記事です。Driesブログの記事一覧よりすべての翻訳記事をご覧いただけます。

今週、Ruby on Railsの生みの親であるDavid Heinemeier Hansson(DHH)と、WordPressの創設開発者Matt Mullenwegが、「オープンソース」の意味をめぐって論争を始めました。私は20年間オープンソースの持続可能性に取り組んできた身として、この件について思うところがあります。

David Heinemeier Hansson(DHHとしても知られる)は今週、新しいかんばんツール「Fizzy」をリリースし、それをオープンソースと呼びました

すぐに人々は、Fizzyに適用されているO'Saasyライセンスが、他者による競合SaaSバージョンの提供をブロックしているため、Open Source Initiativeの定義に違反していると指摘しました。異議を唱えられると、彼はXで「これって誰かが勝手に決めたものだって知ってるよね?」と一蹴しました。そして「オープンソースとは、ソースが公開されているということ。シンプルにそれだけ」と続けました。

今朝、Matt Mullenwegが正当な反論をしました。彼は、Open Source Initiativeの定義を無視することはできないと主張しました。北朝鮮が自らを民主主義国家と呼ぶようなものだと例えたのです。例えとしては少し不器用ですが、要点は明確です。

ご覧のように「オープンソース」という用語には特定の共有された意味があります。それは曖昧な概念ではなく、マーケティングのために転用できるものでもありません。何千人もの人々が何十年にもわたってその定義を形作ってきました。その作業を無視することは、コミュニティから恩恵を受けながらそのルールをないがしろにすることを意味します。

この議論全体が特に興味深いのは、DHHがほんの数ヶ月前にLex FridmanのPodcastに出演し、オープンソースの精神と倫理を訴えて、MattのWP Engine問題の扱い方を批判していたことを知っているからです。もし定義が単なる「勝手に決めたもの」なら、Mattはどんな精神に違反していたというのでしょうか?

定義の議論は重要ですが、ここでのより大きな問題は持続可能性です。DHHのライセンス選択は、オープンソースの世界に実在するプレッシャーへの反応です。多くの企業がオープンソースソフトウェアから実質的な収益を得ながら、それを構築し維持する困難な作業を他者に任せているのです。

この緊張は、MattとWP Engineの争いでも役割を果たしたので、彼とDHHは、アプローチは異なっても、いくつかの共通点を持っています。Drupalでも同じ状況が見られます。私たちのエコシステムにおける最大手企業からの貢献は、極めて不均等なのです。

DHHが実験できるのは、Fizzyが新しいプロジェクトだからです。彼は異なるライセンスを選択し、どう機能するか試すことができます。一方でMattは、WordPressが20年以上GPLでライセンスされているため、今からそれを変えることは事実上不可能です。

どちらの対話も重要ですが、オープンソースで最も影響力のある2人が定義について議論している間、私たち全員がフリーライダー問題と格闘しているのは、火事の最中に消防士がホースの長さについて議論しているようなものです。

オープンソースは、その用語が何を意味するのかについて共通認識を持つことで初めて機能します。だからこそ、定義をめぐる議論は重要なのです。しかし、Drupal、WordPress、Ruby on Railsといったプロジェクトが今後何十年にもわたって繁栄し続けられるかどうかを決めるのは、持続可能性です。私たちが今すべき議論は、そこにあるのです。

Drupalでは、貢献度評価制度を導入したり、プロジェクトを支援する企業に仕事が回るよう誘導したりと、様々な試みを行っています。こうした取り組みは役立ってはいますが、不均衡の問題は依然として解決していません。

6年前、私は「Makers and Takers」のブログ投稿で、「ソフトウェアのフリーライディングは促進するが、顧客のフリーライディングは抑制する」ような新しいライセンスが見たいと書きました。O'Saasyはまさにそのような実験なのです。

より正確に表現するなら、Fizzyはソース利用可能であると言えます。ソースコードを読むことも、実行することも、改変することもできます。しかし、DHHの会社は持続可能なビジネスを構築するために、SaaSとしての権利を保持しています。これは正当で、かつ寛大な判断ではありますが、オープンソースではありません

私はまだ、オープンソース持続可能性問題への完全な答えを持っていません。20年以上この問題と格闘してきましたが、「オープンソース」という用語を再定義することは解決策ではないことは確かです。

問うべき価値があり、答えるべき質問があります:

  • 貢献できない企業と、貢献しない企業をどう区別するか?
  • 企業の行動を実際に変えるものは何か:羞恥心、自己利益、懲罰的措置、独占的利益、それとも規制か?

今回の議論が、定義論争から抜け出し、こうした本質的な課題に向き合うきっかけとなるなら、悪いことではないでしょう。

by Dries Buytaert

この記事は 「'Source available' is not open source (and that's okay)」(投稿日:2025-12-09)の翻訳記事です。

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